双蝶々曲輪日記
第一冊「浮瀬の居続に合図の笛売」
舞台は茶屋「浮瀬」の奥庭。新町藤屋の傾城、吾妻とその姉女郎都が吾妻の恋人山崎與五郎と花見がてらの宴席。都は年季明けを控えて、曲輪を出たあとは八幡の南與兵衛と所帯をもつ約束をしているが、與五郎の家の番頭、権九郎から横恋慕されている。また、與五郎は太鼓持の佐渡七から吾妻を身請けしたがっている西國の侍、平岡郷左右衛門の事を聞く。恋人吾妻を他の客に取られたく無い與五郎は焦り、商売の為替金三百両で手付を打とうとする。與五郎は佐渡七に番頭権九郎から金を受け取り、藤屋へ手付の金を届けるよう言いつけるが、腹黒い佐渡七は権九郎と共謀し、権九郎がかねてより横領のため準備していた偽金に與五郎の印判を押させたものを藤屋に届ける。折しも通りには笛売りの男が通りかかり、傘の周りに様々な笛を吊るし、子供相手の売り商いを続けていたが、この笛の音を聞くと都はそっと通りにでて、この笛売り南與兵衛のもとへ駆け寄る。都が與兵衛に権九郎から逢って欲しいと言われて困っている話をしていると、佐渡七が通りかかり、また都も呼ばれて座敷へ戻るが都からもう少しここにいてと頼まれて物陰に身をかくしているうちに、そこへ平岡郷右衛門とその部下三原有右衛門が来る。佐渡七は二人をみるより駆けつけ、與五郎が吾妻を請け出すために三百両の手付を打ったと話すと郷右衛門は「なぜ手付を打つ前に言わない」と怒りだす。そこで、受取証の宛名を空欄にして貰った佐渡七は、宛名を郷右衛門にする事をもちかける。ここへ偽金に気づいた藤屋の主人が駆けつけ、金の包みは銅で出来た偽物であったと佐渡七に訴える。受取証の一件で身請けをするのは郷右衛門ということになっているので、郷右衛門は受取証を藤屋へ返し、偽金を受け取り、座敷にいた與五郎に「偽金をつかませた」と言いがかりをつける。この一部始終を聞いていた南與兵衛は二人の侍を追い払い、自分は南與兵衛といって與五郎の父親與次兵衛から「與」の一字を貰ったものだと告げる。この様子をみた佐渡七と権九郎は悪事が露見するのを恐れ、與兵衛を待ち伏せする。この喧嘩に郷左衛門、有右衛門も加わるが、危ういところを與兵衛は商売道具の傘で観音様の舞台から飛び降り逃げる。

二冊目「相撲の花扇に異見の親骨」
舞台は相撲見物客で賑わう堀江付近。屋形船のなかには、新町の傾城吾妻、都が與五郎の噂をするうちに、別の船に與五郎が乗っているのを見つける。近寄って話を聞けば、吾妻や都の乗った船には気がついていたのだけれども、與五郎には郷左衛門の差し向けた見張りがついて、気味が悪いので贔屓の力士濡髪の長五郎が来るまでは安心できないと語る。ここにしっかり者の與五郎の父親與次兵衛が現れ、長五郎への進物を運ぶ手代の庄八を見つけると、船中の與五郎へ聞こえよがしに日頃の無駄遣いを嘆く。手代の庄八は機転を利かせ、進物は蔵屋敷からの依頼で持っていくもので、與五郎は先に山崎の家に帰ったと言い訳をして逃れる。濡髪贔屓の與次兵衛は進物のついでにと、象牙花の要の扇を長五郎へ贈る。そして、相撲場の勝負がはじまり、長五郎の対戦相手は郷左衛門の贔屓力士放駒の長吉であった。吾妻から手を引くように郷左衛門を説得して欲しい長五郎はわざと長吉に負ける。このことで、かえって長吉は怒り、力士二人は睨み合って別れる。

三冊目「揚屋町の意気づくに小指の身がはり」
舞台は新町九軒町。座敷を抜け出した吾妻と都。都は権九郎が自分を身請けしたいと言いだして藤屋に二百両を持ってきたと吾妻に相談するが、吾妻もまた郷左衛門の身請け話で與五郎との仲を邪魔されそうだと都に相談する。お互いの身を案じるも自身に降りかかった問題で頭がいっぱいの二人。それぞれの恋人、與五郎、與兵衛の来るのを待ちわびているところへ、大門で太鼓持の佐渡七が殺されたという知らせが入る。佐渡七は殺し手の小指を一寸程噛み切ってくわえていたところから、小指の無いものが犯人であり、これを手がかりに曲輪の中を役人が詮議中と揚屋の亭主からおしえられる。また、亭主は権九郎の言いだした身請け話を都が嫌がるのを聞き、それならば藤屋にかけあって、一年足らずの年季を二年にも延ばして、権九郎の身請け話を断ってもらうようにしたら良かろうと言う。揚屋の亭主と都がこのことを藤屋に頼むために出かけると、入れ違いに顔を頬かむりで隠した南與兵衛が駆け込んでくる。聞けば太鼓持の佐渡七が非人どもを集めて與兵衛を待ち伏せたので、これを押さえようとするうちに、小指を噛まれたので、仕方なく殺したという。これを聞いた吾妻は與兵衛を床にかくまう。この様子を禿から聞いた都は怒って吾妻にくってかかるが、與兵衛の小指の切れた手を見せられて事情を察し謝る。そこへ都に嫌われている権九郎が、吾妻に都の説得を頼みにくる。布団の中からの與兵衛の指図を飲み込んだ吾妻は権九郎に「指でも切って都さんに心中立てしたら、きっと思い直してくれるはず」といい、また都も「本当に私を思ってくれるのなら、指を切って誠を見せて欲しい」と言います。そこで権九郎は枕を台に差添で指を切ろうとしますが、うじうじしているところを都、吾妻の二人掛かりで無理矢理切らせます(ここのところ
手取り足取り枕を鎚って書いてあるので、かなり凄惨な場面ですが、妙におかしい(笑)痛がる権九郎が転げ回っているうちに切った指を拾い、脇差しに血を塗り付けます。ここに佐渡七殺しの詮議の役人が現れ、小指がなく、脇差しにも血の付いた権九郎を偽金の一件も露見していたので、捕らえて行きます。こうして都の一件が片付いた吾妻のところへ、濡髪の長五郎を連れた與五郎が駆けつける。長五郎が身請けの談判に行ったあと、與五郎は郷左衛門に揚詰にされていた吾妻と痴話喧嘩になる。こうして吾妻、與五郎の二人になったところへ、郷左衛門が現れ、二人に乱暴をはたらく。明の六つを知らせる太鼓で、吾妻の客でなくなった郷左衛門がなおも乱暴をはたらこうとするのを、戻って来た長五郎が助ける。そして、郷左衛門が長五郎に痛めつけられているところに放駒の長吉が助けに入り、再び力士二人は睨み合うことになる。長吉は後ろで刀を抜こうとする郷左衛門がいては、仲間うちから卑怯のそしりを受けることになると言って、この場での決着を延ばそうと言い、二人は喧嘩の決着を翌日の晩に四つ橋でつけることにする。ここで再び六つの太鼓が鳴り、さっきも鳴ったはず?と皆が訝るところへ頬被りをした夜番姿の都が現れ、先程の六つの太鼓は與兵衛の言いつけで與五郎と吾妻を助けるために都が時刻より早くに打った太鼓であると明かし、そのまま夜番姿で與兵衛と駆け落ちをする。

四冊目「大寶寺町の達引に兄弟のちなみ」
舞台は放駒の長吉の実家。長吉の姉おせきは島の内で搗米屋を営んでいる。おせきや長吉の父親はすでになく、外出がちな長吉もあてに出来ず、しっかりもののおせきが店を切り盛りしている。長吉が帰ってくると、おせきは長吉に愚痴をこぼしつつも、暖かく迎える。そして、長吉の悪友二人が遊びに来て、三人で喧嘩の話をし始め、長吉は今夜四つ橋で濡髪長五郎と昨晩の決着をつけねばならぬことを話す。これを聞いていたおせきは「逮夜の念仏へ出かけるので留守を頼む」と言い残して出て行き、留守番を頼まれた長吉は四つ橋へ出かけるわけにもいかず、悪友たちに「四つ橋へ行って長五郎を呼んで来てくれ」と頼む。そこへ郷左衛門が有右衛門をつれて長吉の家に上がり込み、吾妻が駆落したと怒り、長吉に行方をさがしてくれと頼んで帰る。やがて長吉の家に長五郎が来ると、二人は取っ組み合いを始めるが、やがて刀で切り合いを始める。ここへ駕篭で数人の老人たちが来ると、長吉の家の戸を叩いて、長吉を盗人呼ばわりする。喧嘩はしても心のまっすぐな長吉はひとのものを盗んだ覚えは無いと言い返すが、老人たちは、それぞれの家のものが長吉に喧嘩をしかけられ、それ以来財布がなくなっているので、犯人は長吉に違いないと言い立てる。おせきは弟の無実を証明しようと、「隠すとすれば、この引き出ししかないので、引き出しの中身をそっくり見せようとひっくり返す。すると日頃見かけぬ財布が出てくる。老人達に「その財布はこちらのものに違いない」と言われ、長吉はそれでも盗んでないと言い張るが、姉のおせきは許さず、長吉を人前で打ち据える。身に覚えの無い長吉であるが長五郎の手前も面目なく、またあれほど思ってくれる姉に申し訳ないと脇差しで自害しようとする。長五郎は日頃の長吉を見ていて、「盗みなどする者では無いと分かっている。今日の喧嘩も相手が良さに来たのだから」と言って長吉をなぐさめる。それでも脇差しを取って自害しようとする長吉を長五郎が止めると、おせきが駆け寄り、先ほどの老人達は逮夜のお念仏にきた人達で、喧嘩ばかりしている長吉を懲らしめるためにひと芝居打ってもらったと打ち明ける。長吉は、もう喧嘩で姉を心配させるのはやめると言い、先ほどまで喧嘩していた長五郎とは兄弟同然の付き合いをすると誓う。老人達がホッとして帰ると、今度は先ほどの悪友の一人が長吉の家に走り来て、郷左衛門が難波裏で興五郎と吾妻を見つけたと知らせにくる。これを聞いた長五郎は長吉を置いて難波裏へ駆けつける。

五冊目「芝居裏の喧嘩に難波のどろどろ」
舞台は難波裏。與五郎と吾妻を見つけた郷左衛門は有右衛門とともに與五郎を痛めつけるが、長五郎が駆けつけ、二人を助ける。長五郎は身請けの件で侍達を説得しようとするが、郷左衛門は吾妻を思い切ったふりをして長五郎をだまし討ちにしようとしたため、とうとう長五郎の手にかかって死ぬ。ここへ長吉も駆けつけ、與五郎、吾妻を預かり、人殺しとなった長五郎を落ち延びさせる。

六冊目「橋本の辻駕籠に相興の駆落」
舞台は橋本。與五郎の妻お照の実家。家へ帰らぬ與五郎と離縁もせずにいるところを実家に呼び戻されているお照であるが、與五郎のことは思い切れず、やるせない日々を過ごしている。ここへ與五郎、吾妻の二人を乗せた駕籠が着き、與五郎はお照にふたりをかくまって欲しいと頼む。お照は吾妻をかくまう事だけを承知する。吾妻は自分だけかくまうというお照の言葉をいぶかしく思うが、お照は「色里のならいで與五郎様を騙したならいざ知らず、駆け落ちまでして主を思ってくれる吾妻なら憎くはない」また、「與五郎様に会いたいばかりに、傾城ともどもかくまうのか」と父親から叱られるのが分かっている。そして與五郎には咎は無いので、自宅へ戻るのが良かろうと言う。與五郎が帰ろうとすると、お照の父親、與五郎の舅である治部右衛門が呼びとめ、與五郎は自分がかくまうと言い出す。かくまう条件に治部右衛門は硯箱を出し、與五郎にお照に離縁状を書くように言いつける。それは「気に入らぬ女房を持って欲しさの追従」と世間から思われたくないので、離縁状をもらったならば、あかの他人なので何の後ろめたさも無くかくまってあげられると言う。離縁状を書かねば、代官所へ訴えるといわれ、與五郎はしぶしぶ三行半を書いてお照に渡そうとする。これを見ていた吾妻が離縁状を横から取って、これは私が預かりましょうという。こうしている所へ與五郎の父、與次兵衛が治部右衛門を訪ねてくる。與五郎、お照、吾妻を奥へ隠すが、與次兵衛はその後姿に気づく。治部右衛門が応対に出ると、與次兵衛は嫁のお照を返して欲しいという。治部右衛門は與五郎が本心からお照を返せと言えば返すが、世間体を気にしてお照を返せと言っているのであれば、返せないと突っぱねる。與次兵衛は嫁にもらった以上は自分の娘であるから、與五郎の性根が直らなければ、お照に婿をとって、後を継がせると語る。この言葉がなお治部右衛門の癇に障り、ふたりは口論の末、脇差を抜いて切りあいをはじめる。この様子を見ていた駕籠かきの甚兵衛は、こうなったのも元はと言えば傾城の吾妻であるから、自分が吾妻の親になりかわって、與五郎を思い切るよう説得するという。落ち着いたふたりの親は吾妻の説得を甚兵衛にまかせ、奥へ入ってゆく。この甚兵衛が実は吾妻の父親で、吾妻が新町の傾城であったことも知っていたが、こんな父親では肩身が狭かろうと名乗り出なかった。だが、先ほどからの様子を見れば、娘に思い切れと頼むしかないという。吾妻は自分のためにお尋ねものにまでなった與五郎を今さら捨てることは出来ないというと、では甚兵衛は吾妻を勘当すると言い出す。これを聞いた吾妻は自害しようとして甚兵衛に止められるところに治部右衛門が吾妻を請け出す金を出すといい、また與次兵衛も頭を丸め、名も浄閑と改め、與五郎へ與次兵衛の名を譲り、身請けの金は出すので、どうか與五郎の妾になってくれと頼む。吾妻は先ほどの離縁状を取り出し、やぶく。ここへ庄屋名主があわただしく来て、代官所の役人が「治部右衛門に與次兵衛を連れて出頭するように」というお達しがあったと告げる。ふたりは代官所へ向かうが、残った子供達が心配するのをみて、甚兵衛が様子を見に代官所へ行く。お照は危うい気配を察して、押入れのなかに與五郎と吾妻を隠すと、曲輪からの追手が来る。お照は「そんな人はいない」と突っぱねるが、押入れの布団が座敷に出ていたため、怪しまれ、家捜しをされそうになるが、ここに役人たちが現れ、治部右衛門にお上からお疑いあって封印と、家財道具、押入れの戸にも封印を貼り付けて帰る。役人の封印を見た曲輪の追手は押入れの戸に手出しができなくなり、諦めて帰る。ここへ甚兵衛がもどり、治部右衛門と浄閑が揚屋(牢屋)に入ったという。曲輪の追手からは逃れたものの、封印があっては押入れの戸があけられず、そのままにしておくわけにもいかない。そこへ先ほどの役人の一人が戻り、封印は私が切ってあげようという。見れば長吉で曲輪の追手が居場所をつきとめた様子だったので、急いで人を雇い役人のふりをして押入れを封印して追手を逃れる事を思いついたと話す。封印を破り、中の二人を助け出そうとすると、一連のショックから與五郎は気がふれていた。

七冊目「道行菜種の乱咲」
舞台は菜種畑。押入れで狂ってしまった與五郎の道行きです。
心配する長吉と吾妻ですが、與五郎は正気に戻りません。自首する気で最後に與五郎の顔が見たいと訪ねてきた濡髪長五郎ですが、長吉に止められ、また逃亡の旅にでます。

八冊目「八幡の親里に血筋の引窓」
舞台は八幡。南與兵衛の家。以前は八幡近在の郷代官の家柄であったが、今では落ちぶれている。折りしも秋の放生会の準備をしながら母と嫁のおはや(傾城都)が與兵衛の帰りを待っている。八幡では殿様が変わり、與兵衛も出世のチャンスを迎えていた。ここへ編笠で顔を隠した濡髪長五郎が訪ねてくる。與兵衛の母は「長五郎か?」長五郎は「母者人」と呼ぶ。また長五郎は傾城時代のおはやを知っていたので、あれから與兵衛と夫婦になったのか?と聞く。おはやは長五郎に自分を請け出した権九郎はもとより偽金師で牢に入り、佐渡七は盗人であったので、殺しても差しさわりが無かったので、なにも気がかりな事は無く與兵衛と夫婦になっていると語る。
また、長五郎が與兵衛の母を「母者人」と呼んだことを不思議に思ったおはやが母に尋ねると、この家に来る前に長五郎を生み、五つの頃に養子にやり、それからここへ嫁に来たが、與兵衛は先妻の産んだ子で血はつながっていないと話す。長五郎のことは去年、大阪で見つけ大きくなってはいたが、頬のほくろで長五郎と分かったので、声をかけ、話を聞くと養い親二人が亡くなり、相撲取りになったという。この長五郎のことを與兵衛に話そうかとも思ったが、昔を慕って長五郎を訪ねたかと思われるのが恥ずかしいので黙っていた。しかし、こうして事があらわれたのなら、與兵衛が帰ってきたら話をするつもりだという。喜ぶ母に長五郎は今の身の上を話すことも出来ず、ただ相撲取りというものは、いつでも人を打ったり投げたり、遺恨で喧嘩沙汰になることもあるので、この仕事をやめるまでは息子とも思わず、與兵衛へも言わずにおいてくださいと言い残して去ろうとする。母はそんな長五郎を引きとめ、そんな商売ならやめて、この八幡で仕事をみつけたらという。また長五郎のために御馳走を準備する母の姿に胸がいっぱいになった長五郎は、これを最後の思い出にしようと二階へ上がってゆく。ここへ南十次兵衛と名も改め、出世して昔と同じ庄屋代官に取り立てられた南與兵衛が二人の武士を連れて帰る。二人の武士は平岡丹平、三原傳蔵と言って難波裏の喧嘩で殺された郷左衛門の弟と有右衛門の兄であった。御前に呼ばれた與兵衛は、この二人の敵である長五郎の捜索を内々に命じられ、八幡の地に不案内の侍二人のために夜間の捜索を依頼された。この話を聞いた母とおはやは驚き、おはやは與兵衛に思いとどまるよう言いかけるが、手柄をたてる邪魔をするのかと叱る。これを聞いていた母は與五郎に長五郎のことを見たことがあるのかと尋ねると、一度堀江の相撲場で見たのと曲輪でも出合って、與兵衛は長五郎の顔を覚えていると話し、また知らないものでも分かるように村々へ配る人相書きも出してみせる。母が人相書きを見ると二階の長五郎ものぞき込み、その顔が手水鉢に写ったのを與兵衛が見つけるが、その様子を察したおはやが引窓を閉めて中を真っ暗にする。與五郎がおはやの行動を怪しむと、おはやは「もはや日の暮れ」と言い、與兵衛が日が暮れたのなら自分が詮議しなければならないので、家の中に入るお尋ねものを召し捕ると立ち上がる。すると、おはやは「まだ日が高い」と言って引窓をあける。
母は手箱から金の包みを取りだし、その人相書きを買いたいと言い出す。母が大事に貯めていた金を使う心から、與兵衛はお尋ね者の長五郎が母の実の子であると察し、人相書きは母に譲るという。また、夜になると詮議の役目を果たさねばならぬと言って、長五郎へ聞こえるように逃げ道を教えて、出かけて行く。長五郎はたまらず外へ駈け出て、自首しようとするが、母に抱きとめられ、嫁のおはや、與兵衛の心遣いを無にする気かと叱る。何とか今晩のうちに姿を変えて逃したいと母が大前髪を剃刀で落とそうとすると、姿を変えた後つかまったならば、それほどまで命が惜しかったのかとそしりを受けるであろう。侍達を殺したあとで、すぐ死ぬつもりであったが、義理があって生きながらえ、たった一目だけでも母の顔が見たくて来たのに、帰って母を悩ませることになってしまった。やはり、與兵衛に引き渡して欲しいというと、母は剃刀で自害しそうになる。長五郎は母を止めて、前髪を落すことを承知する。そして、頬のホクロも取るというときに、父親譲りのこのホクロを母親の手では落せないので、嫁のおはやに頼むが、おはやも出来ないという。母はこんな境遇になった長五郎が不憫で泣き沈んでいると、様子を見ていた與兵衛が先ほど母へ売った人相書きの金包みを手裏剣のように投げ、長五郎のホクロを潰す。長五郎は與兵衛のために母が縄をかけて継子の與兵衛へ渡し、継子への義理を立ててくれと言い、母も確かに実の子に縄をかけても継子に手柄を立てさせるのが義理と窓の縄で長五郎を縛る。「長五郎を召し捕った」という声に與兵衛は家のうちに駆け込み、御前へ引いて行くとは言うが、おはやに時刻を聞き、おはやが夜半にもなりましょうか?というとおはやを叱り「七つ半を先ほど聞いた。朝になったので、自分の役目は終わった。」と言って、窓の縄を切ると、明るい月の光が差し込む。この光を朝の光と見なして、夜が明ければ放生会なので、生きているものを生かすこの地方のならいであるから、恩にきる必要は無いと言って逃がす。

九冊目「観心寺の隠家に恋路のまぼろし」
舞台は河内の國、観心寺村。濡髪長五郎は綾川と名を変えて、幻竹右衛門という老人にかくまわれている。相撲好きのこの老人は近所の若者を集めて相撲の稽古をさせている。この近所の若者たちを相手に長五郎が相撲の稽古の最中、村の役人が「庄屋殿よりの言いつけで、大阪で人を殺した濡髪という相撲取りが、この観心寺村へ入り込んでいるようなので、見つけ次第捕まえておけ」と言いにくる。また「明日には大阪から侍達が詮議にくる。竹右衛門の家には若い者が入り込みやすいので、今夜のうちに下相談をしたい」と言って寄越す。竹右衛門は庄屋へと出かけ、家には竹右衛門の娘おとらと長五郎が残り、おとらは長五郎の身の上を知りつつも、ひと目みたときから長五郎を思いそめ、恋文も書いたけれども落してしまい、また寝所に忍んでゆけば(文楽にはありがちな積極さ(笑)長五郎は頭を降って「嫌じゃ嫌じゃ」というばかりだと恨み言を言う。それを聞いた長五郎は、その気持ちは嬉しいが、お尋ね者の身の上で、いつおとらを悲しませる事になるかもしれない。また竹右衛門にもかくまってもらった上に、娘にまで悲しい思いをさせる人でなしと思われては、いままで「男」といわれた濡髪長五郎の立場がない。そう言われたおとらは、「無理に自分の思いを押し付ける私でもない」しかし、お尋ね者とも知っていて思いを寄せるのであるからは、のちには尼になる覚悟でいると立派に言う。しかし心残りで、もじもじしているところへ父親の竹右衛門が戻ってくる。庄屋で聞いたところ、竹右衛門のうちにいる綾川がお尋ね者の濡髪と村のものが訴え、追手の侍達がもう古市まで来ていて、明日朝にはこの村にくるという。竹右衛門は何とか長五郎を落ち延びさせようとするが、長五郎は、もし古市まで来ている侍が十次兵衛ならば、母への孝行のため捕まりたい。十次兵衛でなければ、どんな侍でも捕まるつもりはないと言って駆け出すところを竹右衛門が押しとどめ、十次兵衛ならば、百姓の手を借りて、手柄をあげようとするような侍ではない。古市まで来ているのは、死んだ郷左衛門と有右衛門の兄弟であるという。また、ここで捕まれば、おとらが泣くだろうと、竹右衛門がおとらの恋文を拾ったことを話す。そして、どうせ捕まるのなら十次兵衛に捕まれと長五郎を諭して、おとらに出立の準備をさせる。山寺の鐘が九つを告げるころ、竹右衛門の家に編笠で顔を隠した大男が訪ねてくる。大男は物陰に侍二人が様子をうかがっているのを知って、「濡髪長五郎だ」と名乗る。これを聞いた侍二人は急いで知らせに走るが、実はこの大男は長吉で、與次兵衛(與五郎)の病気も治り、吾妻は妾に、お照は本妻に、さらに曲輪の問題も浄閑が金で決着をつけたので、あとは長五郎の難儀だけであると語る。長吉があとは自分に任せて、長五郎に逃げるように言うが、長吉に迷惑をかけたくない長五郎は、逃げるわけにはいかないという。竹右衛門は長五郎に「それでは母や十次兵衛への義理が立つまい」と言い、長吉は「十次兵衛殿の今宵の泊まりは高安。そこに行って捕まるのなら卑怯者にはならないだろう」と言って長五郎を納得させる。長五郎は世話になった皆や夫婦となったおとらにも別れを言って落ち延びる。長五郎が出て行ったあと、郷左衛門の弟丹平と有右衛門の兄伝蔵が数十人の捕り手をつれて竹右衛門の家にやってくる。丹平は表口、伝蔵は裏口にそれぞれ捕り手をつれて回りを取り囲む。そして先ほど相撲を取りに来ていた村の若者が丹平の言いつけで竹右衛門の家の戸を叩き、「昼に印判の入った巾着を忘れて、すぐに庄屋まで持っていかなければならないので、戸を開けて欲しい」という。竹右衛門は心得て、庄屋さままで行くのなら、たった今、濡髪がきて大いびきで寝ていると侍たちに言ってくれと小声で話す。これを聞いて喜んだ丹平は、自分が召し捕りに来たので、すぐここを開けてくれと言う。竹右衛門は、そう大掛かりな捕り手では却って失敗する。何しろ相手は手強い濡髪なので、寝入りばなに静かに近づくのが良いので、二人ほど捕り手を寄越してくれと言う。この言葉を真に受けた丹平が二人の捕り手を差し向けると、戸を閉めて長吉と竹右衛門の二人で捕り手の口を塞ぎ、斬り殺す。竹右衛門はこの血潮を体に塗り付け表に出て来て、「長五郎に二人ともやられ、自分も手負いになったが、命だけは助かった」という。丹平たちが座敷に上がると、長吉が迎えうち竹右衛門も手負いのふりで、ヨロヨロと捕り手の邪魔をする。そうして立ち騒ぐ物音に観音寺まできた長五郎であったが、長吉や竹右衛門のことが気がかりで、行きつ戻りつしているうちに伝蔵や丹平の手の者に周りを囲まれる。長五郎は捕り手をつぎつぎに片付け、丹平と伝蔵を膝の下に敷いたところを、十次兵衛に止められる。ここに縄をかけられた長吉が引かれてくるが、十次兵衛はこの縄をほどき、長五郎には丹平と伝蔵を離せという。長五郎の手を離れた丹平、伝蔵は「なぜ長吉を放すのか?」と十次兵衛に問いつめると、「竹右衛門はご老体で長五郎と長吉を聞き間違い、それによって長吉は捕り手を殺したのだから、この事件は人違いが原因で、長吉に罪は無い」といい、また長五郎の罪も主のためにしたことなので、きちんとお上に申し上げるならば、御咎めもなかろうと、ひとまず十次兵衛に捕まれと言って諭す。長五郎はすべてを十次兵衛に任せ、長吉とも連れ立って大阪へ帰る。