夕霧阿波鳴渡
上之巻
舞台は新町吉田屋。
年の暮れ、賑やかに餅つきをする新町の吉田屋に、扇屋の夕霧太夫が病気を押してやってくる。吉田屋の主人喜左衛門は夕霧が来てくれたことを喜び、昨年までは毎年伊左衛門と夕霧が来てくれたが今年は伊左衛門が勘当されて流浪の身となり、夕霧も病気でどうかと思っていた。夕霧に少しでも顔を見せてもらいたいと願っていたおり、四国のお侍が有名な夕霧太夫に会ってみたいと言ってわざわざ大阪で年を越すことになった。初対面の客の座敷は断られるとは思ったけれども、御願いに使いのものを呼びにやったところが、日頃親しくしている喜左衛門であったことが幸いして、こうして来てくれたことが嬉しいと言う。そして今日の客、阿波の侍の美しい様子を聞かせて、表では冷えるのでと夕霧の病身をいたわる。夕霧は毎年伊左衛門とともに来ていた餅つきなので、生きているうちにここで伊左衛門とともに過ごす気持ちで来た。また吉田屋の人達の顔が見たいと思っていた折から呼びに来てもらったので、来てはみたが、座敷は気ままに勤めさせてもらうと言って吉田屋の中へ入る。ここへ落ちぶれて紙衣を着た伊左衛門が喜左衛門を訪ねてくる。下男たちに追い払われそうになるところを喜左衛門が止め、伊左衛門だと気がつく。座敷へ伊左衛門を案内した喜左衛門は京大仏の馬町に伊左衛門がいると聞いて夕霧が何度も手紙を出していた事。そして奈良、大津までも伊左衛門を探したが見つからず、たった今も噂をしていたと話す。喜左衛門が寒かろうと縮緬の小袖を伊左衛門の肩にかけると、その小袖を有りがたがる様子に喜左衛門は涙ぐむ。伊左衛門は、こんな境遇になっても少しも動じないと強がりを言って、寒さに冷えるこの体が金そのものと言って縮こまる。吉田屋の女房も変わらぬ様子で正月の仕度をして伊左衛門をもてなすが、夕霧のことを言わない夫婦に伊左衛門は不安をつのらせる。喜左衛門から、夕霧が隣の座敷で客の相手をしていると聞いた伊左衛門はヤキモチから腹を立てる。そして、傾城には誠などなく、二人の間に生まれた男の子をやり手の玉が里子に出したと言っていたのも嘘で、きっと殺してしまったに違いないと言い出す。また隣の座敷に来ている阿波の大尽というのも平と言って自分が夕霧を張り合った相手と思い込む。喜左衛門は平さまではないと否定して伊左衛門を引き止めるが、伊左衛門は立ち上がって帰ろうとする。隣の座敷からチラッと伊左衛門の姿を見た夕霧は、何とか座敷を抜け出たいと思ってお客の様子を見る。大名のお小姓らしい衣装、頭巾姿の美しい客であったが、横になって足を夕霧の打ち掛けに入れたのを夕霧は気に入らず、座敷から引き上げてしまう。恋しさに駆け寄った夕霧を伊左衛門は寝たふりをして相手にしない。伊左衛門に会えた嬉しさを隠せない夕霧であったが、へそを曲げた伊左衛門は夕霧を「万歳傾城」と罵る。夕霧は涙ながら、伊左衛門とは子までなした仲、客と傾城ではなく誠の夫婦だと思っているのに、流浪の間も手紙ひとつよこさず、心労が重なって病気になったのに、この仕打ちはあんまりだと訴える。伊左衛門も涙ながら謝り、喜左衛門から借りた小袖を脱いで哀れな紙衣姿を夕霧に見せる。伊左衛門は里子に出したという子の事を夕霧に聞くと、夕霧は里子に出したというのは嘘で、自分の客であった平岡左近という阿波の侍に夕霧と左近との間にできた子だと偽って平岡家に引き取らせたと話す。伊左衛門は藤屋の手代たちがその子を藤屋の跡取りにしたいと言って伊左衛門の母に掛け合おうとしているので、その子を取り返す手だてを考えたいと言い出す。すると隣の座敷にいた吉田屋の女房が慌てて二人のところへ来て、今の話声は隣へ筒抜けで、その隣の侍がここへ来ると言う。皆が怖がっているところへ侍は刀を下げて現れ、伊左衛門と夕霧をまえに頭巾をとってみせる。髪を見せると武家の奥方で、平岡左近の妻、雪であった。雪は夕霧の子を夫左近の子と信じて今まで育て、立派な跡継ぎと言われるまでにした。その子の傍で夕霧が暮らせるようにとはからうつもりで、夕霧の気持ちを探ろうとして会いにきたが、伊左衛門の子を押し付けられたと聞けばその悔しさに、夕霧を刺し殺した上で自害しようと思ったと言う。しかし、残された左近が世間から何と言われるのかと思うと、それも出来ず、このまま左近の子として育てさせてくれと二人に頼む。夕霧と伊左衛門は雪の心を察し承諾するが、夕霧は生きているうちに一目会わせて欲しいと雪に頼む。雪は夕霧を身請けし、子に会わせる約束もして帰って行く。

中之巻
舞台は上本町、平岡左近の屋敷。左近とその嫡子源之介は天満へ恵方参りに出かけ、妻雪と腰元たちは屋敷の物見部屋で大阪の正月を楽しむことができたのも主のおかげと話す。やがて左近と源之介が馬に乗って戻り、雪が馬上の源之介に声をかけると、源之介は天満で買ってきた天神の土人形を見せる。恵方参りの道すがら源之介がこの人形を持っているのを見た通行人が「親は太夫買い、子は天神買う」と言って笑っていたと話す。その意味が分からない源之介は、雪に「おれにも大きな太夫を買ってくだされ」とねだる。あどけない源之介の詞に腰元たちは雪を気の毒がる。源之介が奥へ入っていくと、雪は腰元たちに源之介は自分を生みの母と思っているので決して夕霧の子という噂話はしないでくれと頼む。そして、夕霧を身請けして源之介の乳母にすると言うと、腰元たちは口々に雪のお人よしを諌める。腰元たちは自分たちが黙っていても夕霧が黙っていられなくなるだろう。また、母親ぶって屋敷の女主気取りになるかもしれないと言って反対する。雪は腰元たちの言葉に夕霧の身請けを後悔し、撤回すると言い出す。ここへ蔵屋敷の小栗軍兵衛が年頭の挨拶に来る。軍兵衛が中へ入って行くと、鑓持ちの槌右衛門が台所をのぞき、飯炊きのお竹を呼んで欲しいと声をかける。この声を聞いて、馬取の角介が出てきて、貸した金を返さない槌右衛門を責める。借金のかたに鑓を預かると言って角介が槌右衛門の鑓に手をかける。鑓がなくては自分の首が飛ぶと槌右衛門が言い、角介と争うところへ飯炊きのお竹が借金は自分が返すと走り出る。お竹は槌右衛門の身持ちの悪さを嘆き、情けない思いを打ち明けながらも夫のためにはと自分の袷を脱いで、これを借金の返済にと言って角介へ渡そうとする。ここへ腰元のりんが走り出て、雪からだと言って、お竹へ金百疋を渡す。雪は物見部屋からこの様子を見ていて、お竹の心根を思い、わが身を省みて夕霧を源之介の乳母にする決心を固める。夕霧は駕籠で喜左衛門に付き添われ、上本町の屋敷へたどり着く。そして源之介の顔見たさに駕籠かきとして伊左衛門も同行する。夕霧の到着を聞いて、物珍しげに腰元たちが騒ぐなか雪は源之介の乳母となったからには傾城呼ばわりはしないようにと言いつける。妻雪が夕霧を身請けしたと知って喜ぶ左近であったが、堅物の軍兵衛には見せられず、表にいては目立つのでどうしたものかと思ううち、外の喜左衛門は病身の夕霧を心配し、はやく案内をと呼ぶ。また玄関先に軍兵衛の迎えがやってくると、軍兵衛は蔵屋敷へ帰っていく。後を見送る左近と源之介。伊左衛門は遠目にわが子を見て、こんな境遇でなかったら人の子にするような事は無かったのにと涙にくれる。駕籠を降りた夕霧は源之介をつくづく見つめ、父親に似た良い子であると褒め称えて外の伊左衛門を振り返る。すると伊左衛門も源之介の姿を食い入るように見つめている。左近夫婦はこの様子に気がつかず、喜左衛門に身請け金の一部を渡そうと言い、雪は源之介に乳母の夕霧を母同様に大切にせよと言い聞かして座敷へ入って行く。左近夫婦がいなくなると夕霧は堪えきれず源之介にすがりつき、伊左衛門も抱きつく。駕篭かきに抱きつかれた源之介は驚き、脇差しに手をかける。伊左衛門は自分に同じ年頃の子がいて、小さい頃から人手に渡してしまい、何としてでも会いたいと思っていた折に、源之介を見てつい抱きついてしまったと謝る。また、伊左衛門は源之介に「父(とと)か?」と言って抱きついて欲しいと頼む。源之介は嫌がり左近へ言いつけて来ると駆け出そうとするところを夕霧が抱きとめて、乳母の初めての頼みなので、どうか「父」と言って上げて欲しいと頼む。乳母夕霧から頼まれて、源之介は素直に伊左衛門に「ととさま」と言って抱きつく。夕霧も伊左衛門がうらやましく、「かかさま」と呼んで欲しいと源之介に頼み、もうこんな機会はないだろうと思い、二人は源之介を中にうれし涙にかきくれる。すると奥から左近が「伊左衛門!」と呼びかけ、伊左衛門は逃げようとするが左近につかまる。左近は阿波の大尽と呼ばれ夕霧を張り合った平岡左近であると名乗ってから、伊左衛門には恨みはない。だが夕霧に騙されたことは腹立たしいと嘆く。左近は源之介が自分の子ではないと、亡くなった遣手の玉から先年聞いて悔しく思ってはいたが、表立って言えば侍の面目が潰れる。また妻雪が左近の子と思って、可愛がり、夕霧を乳母にとも思ってくれた優しさを思うと、そのまま源之介を我が子として育て上げるつもりだった。しかし、今の様子を見て我慢がならず、町人には無用とばかり源之介の刀を取り上げ、倅は返す、連れて帰れと二人に言い放つ。雪は驚き左近へ駆け寄って、自分も左近の子でない事は知っていたけれども、この子を返しては武士の面目が立たないだろう。雪はそう言って源之介を抱き上げ離そうとしない。左近は雪から源之介を引き離し、武士の面目も子孫のためであるのに、実子のない自分には残すべき面目も無いと言って雪を引立てて屋敷に入り、戸を閉ざす。伊左衛門と夕霧は途方に暮れ、源之介は父母を呼んで泣き出す。夕霧は源之介に真実の親は伊左衛門と夕霧であると語り、伊左衛門のことを立派な家柄の人なのだと話す。源之介は伊左衛門と夕霧の子であると納得し、本当の親が愛しいと言って二人になつく。吉田屋喜左衛門は仕方なく夕霧を扇屋へ連れて帰ろうとするが、夕霧は源之介と離れがたく駕篭に抱きいれようとする。しかし、それでは喜左衛門の迷惑になると伊左衛門が止め、母と父子は別れ別れに帰って行く。

下之巻
舞台は新町扇屋。伊左衛門と源之介父子が門付芸人の姿となって扇屋の門口に立つ。二人は病身の夕霧を心配して相の山を歌いながら様子を窺うが、家の中の様子や医者があわただしく往診にくるのを見て、夕霧の容態が思わしく無いことを感じる。医者が帰ろうと表に出て来ると遣手の杉が夕霧の容態を聞く。医者によれば夕霧の命も今夜が山なので、本人の好きにさせてあげたほうが良いと言って帰る。これを立ち聞きした父子はもう夕霧に会うことも出来ないのかと嘆く。扇屋夫婦は相の山が聴きたいという夕霧の願いを聞いて、伊左衛門と源之介を中に引き入れる。奥の座敷にいる夕霧を遠くに見ながら、伊左衛門と源之介は夕霧への思いを込めて相の山を歌う。すると扇屋夫婦は伊左衛門と気づき、娘とも思う夕霧の臨終に二人と対面させてやりたいと座敷に呼ぶ。夕霧は伊左衛門と源之介に会わせてくれた扇屋夫婦に感謝し、伊左衛門に髪を切ってもらい僧形になり、父子に死に水を取ってもらいたいと願う。伊左衛門は夕霧と自分の髪を切って、冥途での再会を約束する。ここへ吉田屋の喜左衛門が平岡左近の妻雪の代理として身請けの金八百両を持って現れる。雪は夕霧の病状を聞き、何とか曲輪の外で死なせてあげたいと寄越した金であるという。また藤屋からも伊左衛門の母妙順の使いが二千両の金箱を持ってくる。伊左衛門の勘当は亡き父親がしたことなので、母妙順が勝手に勘当を許すわけにもいかないが、嫁と孫には罪はない。嫁を曲輪で死なせるわけにはいかないと妙順が寄越した金であった。扇屋は今にも臨終を迎えそうな夕霧に身請けの金はいらないといって、すべて夕霧に与え、一刻も早く曲輪の外へ行かせるようにとせき立てる。夕霧はその金を全て源之介に譲り、これで立派な町人になって、伊左衛門の名を上げて欲しいと頼み、また出来ることなら妙順、伊左衛門、源之介の三人の揃った顔が見たいと願う。妙順を呼びにと一同が騒ぐうちに、玄関口にいた妙順が座敷に来て夕霧を嫁として迎え、金ずくめにして病気を直してみせようと言う。夕霧は次第に顔色も良くなり、病状も回復する。