御所桜堀川夜討
一段目
舞台は鎌倉御所問注所
梶原景時、景高父子の讒言により、弟義経に謀反の企てがあると疑った源頼朝は家臣を鎌倉御所問注所に集め、義経の首を討ってくる所存のあるものはないかと問う。しかし武勇に優れ摩利支天の再来とも呼ばれる義経を恐れる家臣たちに討手を申し出るものはない。この様子に梶原景時はいら立ち、景高に討手を申し付ける。かねてより義経に心を寄せる土佐坊昌俊は、景高を行かせては義経の命が危ういと思い、自分が討手となって義経の首を取ってくると誓約する。その誓いの起請文を残した昌俊に頼朝は喜び、景高とともに旅立つようにと命じる。

舞台は石部宿本陣
東海道を京へ上る一行は石部宿の本陣に到着し、昌俊と景高、景高の家来番場の忠太の三人がくつろぐ所へ案内のものが、義経の妻卿の君の父親、平の時忠が家来鮫島蔵人を連れて密かに尋ねて来たことを伝える。卿の君との婚姻は義経が平家に味方するつもりであると疑われる原因であった事でもあり、昌俊は病気と偽り、直接時忠には会わずに、隣の部屋で密談を聞く。頼朝の義経への疑いを晴らすには時忠、卿の君父子の首を討ち、また義経が預かる平家の回文を頼朝へ差し出す必要があったが、かねてより時忠と懇意の景高は、時忠の命を助けるために密かに回文を盗み出し、その責めを負わせて義経を切腹させるつもりでいた。また義経の愛妾静に横恋慕している時忠は、義経を殺せば静が自分のものになると思い、義経を陥れようとする。時忠の家来で忍びの名人、鮫島蔵人は義経のもとから回文を盗み出し、堀川御所の高塀、見越の松で番場の忠太と合い言葉を決め、回文の受け渡しの約束をする。

一段目
舞台は堀川御所の下馬先
平家の回文を盗み出し、その責めを負わせて義経を殺してしまおうと企てる平の時忠は鮫島蔵人を連れて堀川御所へ義経を訪ねてくる。門番の侍が主人義経は外出していると伝えると、時忠は懐妊した娘卿の君を実家へ戻し、毎晩九条の遊里で遊ぶ義経に意見するために来たのであるから、義経に会うまでは帰らないと言って御所に入って行く。明け方近くになり、忍びの装束に身を包んだひとりの男が御所の塀に近寄り、咳払いをする。塀の内側から忍び装束の鮫島蔵人が現れ、番場の忠太の間で交わされた合い言葉「番」と呼びかける。男は「忠」と答え、鮫島蔵人から回文を受け取り、夜道を帰ろうとする。そこに、やはり忍び装束の番場の忠太がやってくる。忠太は男を蔵人と思い「番」と呼びかけるが、男は答えず、曲者と見破られて肩先を切られる。しかし、暗闇に助けられ運よく回文を手に逃げ延びる。

舞台は堀川御所内
九条の遊里で遊び飽きた義経は静を連れて、堀川御所へ戻ってくる。舅時忠が意見のために訪ねてきていることを知りながら、義経は家臣や静とともに御所で酒宴を始める。宴半ばになり、源八兵衛尉広綱が戸板に切腹した侍の死骸を乗せて宴席に来る。源八兵衛は早朝、出仕したところが、昨晩の勤務であった鎌田藤次が自害して果てていた事を報告し、遺書を義経に渡す。藤次の残した遺書を読んだ義経はたちまち怒り、静を引き据え打擲する。藤次の遺書には密かに静と不義をしていたが、館にまで義経が静を連れてきたことを悔しく思い、その報復として自害して果てたことが書き残されていた。静には身に覚えが無いが、藤次が死んでしまっていてはどうにもならず、殺されるのも仕方ないと言う。また老いた母磯の前司の事が心配で、この世に思い残すことは母のことばかりだと嘆く。義経は静を地面に蹴落とし、望み通りに殺してやろうと言いだすが、遊女に誠が無いのは当たり前のことだと源八兵衛に諌められて、静を放り出したまま、館の中に入ってしまう。静は死んだ藤次の刀を抜き取り、自害しようとするが、それを見た時忠に止められる。時忠は静に「義経に娘卿の君を嫁入させたのは、油断させて殺すため」であったと打ち明け、静を口説く。恐ろしい計略を聞いた静が驚くうちに、座敷の御簾が上がり、義経が現れる。義経は静を不義もの扱いにして、舅時忠の叛逆を露見させる計略であったことを明かす。鎌田藤次は平家の回文を盗まれた責任を負い自害したのであったが、義経はこの回文盗難事件に時忠が関わっていることを見抜いていた。時忠は娘卿の君と義経の夫婦仲を心配して、静を義経から遠ざけるために静に言い寄ったと弁明するが、義経は、時忠叛逆の証人として時忠の妻を連れて来させる。妻によって訴人されたと知り、時忠は怒るが、妻は娘や夫の事を心配した末の訴人であり、どうか夫の命だけは助けて欲しいと義経に懇願する。その望みを聞き入れた義経は時忠の命を助け、能登の国へ流罪にする。主人の悪事が露見し、破れかぶれの鮫島蔵人は郎党とともに暴れだすが、駿河次郎、源八兵衛に捕らえられ惨殺される。

二段目
舞台は五条橋橋詰
義経が牛若丸と名乗った十三年前、牛若丸は勇士を見いだすために五条橋で通行人を襲い、千人切りと世間で噂された。義経はその償いとして「千人供養」と称し、傷を負った人々を探し出して施しを行なうよう駿河次郎に指図する。駿河次郎は五条橋の橋詰に仮家を作り、傷を負った日時や傷の程度などを書き記した記録をもとに、訴えでた証言と照らし合わせて施しをする。そこへ源八兵衛が亡き義朝の廟参へ行く途中に立ち寄る。源八兵衛は義朝の命日、毎月三日には必ず廟参していると言い、また駿河次郎に千人供養の様子を尋ねる。駿河次郎は千人に達するのももうすぐであると答え、源八兵衛は義経の器量を褒め讃えて廟参に向かう。千人供養も九百九十九人まで終わり、残る一人は武蔵坊弁慶とわかっているので、これで全ての施しが終ったと思った駿河次郎のもとへ、一人の女が訪ねてくる。女は十三年前、夫の父親がこの五条橋で斬り殺され、あとで殺したのは牛若丸であると聞いたけれども、恨むことのできない相手であったので、この十三年は姑ともども供養をしてきたと言う。そして今回の千人供養の事を聞いて、舅の供養はいっそう手厚く供養してもらいたいと願い出る。これを聞いた駿河次郎は、すでに千人の照合が済んでいるので、そんなはずは無いと答え、その舅の死んだ日を女に尋ねる。女は本日三日が命日と答え、知らぬ存ぜぬで済ます気かと駿河次郎に詰め寄る。駿河次郎は義経の覚え書きを見て、三日は父義朝公の命日であるので、人は勿論のこと魚鳥の殺生も行なうようなことは無いと答える。また、舅を殺した犯人は牛若丸の千人切りの犠牲者に見せかけようとしたのだろうと言う。これを聞いた女は落胆し、駿河次郎に非礼をわびて帰って行く。折から梶原景高が馬で通りかかり、駿河次郎を見つけるが知らぬふりで通り過ぎようとしたところを呼び止められる。駿河次郎は都まで来ながら、義経のもとを訪れない景高を責め無理に堀川御所へ連れて行こうとするが、逃げられてしまい、ひとまず義経に報告しようと堀川御所へ帰って行く。

舞台は粟田口
日中は人通りの多い粟田口であったが、夜になって人影もなく寂しい道となり、大津の商人針右衛門は追いはぎにあう。命からがら針右衛門が逃げたあとにも次々と追いはぎの犠牲者がでるが、この律儀な追いはぎは病身の親の為に使う金なので、許してもらいたいと願う通行人には自分から金を恵んであげる人物。そこに女が通りかかる。郷右衛門がまた追いはぎの餌食にと女の顔を見ると、その追いはぎ郷右衛門の女房であった。女房は驚き、毎晩出かける夫を怪しんではいたが、このような真似をと呆れる。郷右衛門はこれも病気の母親の為であると言い、その母親を置いてどこへ出かけていたのかと女房に尋ねる。女房は舅の命日に五条橋へ出かけて、舅が殺された一件について話すことがあると言い、夫婦は連れ立って家に帰って行く。

二段目
舞台は郷右衛門の家
「ほねつぎ郷右衛門」と看板を出し、切り傷、打撲などの治療を行なう郷右衛門の母親は病が重くなり明日をも知れぬ命となっている。郷右衛門の患者の中には昨夜の追いはぎで怪我をさせた針右衛門や顎の外れた女などもいたが、みな郷右衛門の見事な治療を受けて帰っていく。患者たちが帰り、治療も一段落すると郷右衛門は女房に昨夜の話をもう一度聞かせて欲しいと言う。女房は五条橋の駿河次郎から聞いた話で義経が親の敵ではない事を語り、主君義経を親の敵と狙うわけにもいかず、浪人の身となってしまった郷右衛門を気づかい涙にくれる。そこへ堀川御所で回文を盗み取ったおりに肩先を怪我した土佐坊昌俊が治療にやってくる。昌俊は、わけがあって名乗れないがと言いながら郷右衛門に傷を見せる。郷右衛門はその傷の治療をしながら、もうひとつ肩に古傷があることに気づき、追いはぎでもして傷を拵えたのかと聞く。昌俊は十三年前、まだ平家の世であったころ、平宗盛を花見の帰り道に襲うつもりで、六波羅蜜寺の薮に身を隠していたが、そこで突然「狼藉者」と呼ばわれ、相手を平家のものと思い込んで戦ったことを話す。肩に斬り込まれながらも敵を倒したところが六十あまりの老人で、傍に弓矢があったことから、同じ源氏の侍であり、宗盛を狙っていたと気づいた事を話す。また当時は千人切りが義経公であることも知らなかったので、千人切りの仕業にするため死骸を五条橋まで運んだと言うと、郷右衛門は「親の敵!」と刀を抜いて昌俊に切り掛かる。昌俊は郷右衛門が斬り殺した老人の息子だと知り、刀を抜き合わせながらも名を尋ねる。郷右衛門は実は伊勢三郎と言い、父の亡きあと、その千人切りの犯人もわからずにいたが、縁あって義経の家臣になった。しかし、後年千人切りが義経であったと知り、親の敵が主君では敵討ちも出来ず、義経のもとを去り浪人していたことを語る。これを聞いた昌俊は三郎の気持ちをくみ、相手になろうとは思うが今はまだ梶原景高も一緒に都へ来ていて義経を陥れようと企んでいる。敵討ちは景高を鎌倉へ帰すまで待って欲しいと三郎に頼む。しかし三郎は聞き入れず、なおも昌俊に詰め寄る。すると奥から病身の母があらわれ、いくら親に孝行を積んでも忠義の心を忘れるようでは武士では無いと諭され、三郎はその場の敵討ちを思いとどまる。昌俊は三郎の母に感謝し、平家の回文を贈る。母は三郎が義経のもとへ帰るための良い土産になると喜んで受け取る。そして敵討ちの日延べを聞き入れられた昌俊と三郎は再会を約すが、三郎の母は臨終を迎える。

三段目
舞台は堀川御所
卿の君の懐妊も五ヶ月となり、腹帯の祝いを迎える。しかし鎌倉の頼朝をはばかり、堀川御所には親しい付き合いをしている武家や近臣たちだけが訪れ、乳母の侍従太郎の家からは妻の花の井が義経を訪ねる。義経も鎌倉から来ている梶原景高を恐れているわけではないが、頼朝を敬慕する心を表したいと帯祝いも質素にしたと言う。花の井はこの祝いにかこつけて、伊勢三郎がたびたび卿の君のもとに来て、家臣に戻してもらえるように義経へ取りなしを願っていることを打ち明ける。花の井の言葉に義経は三郎を呼び出すよう命じ、三郎は義経の前にあらわれる。義経は何も言わずに自分のもとを去った三郎が再び家臣になりたいと願う真意を問う。三郎は父親が千人切りの犠牲者として死んだとばかり思い込み、義経を親の敵だと信じて主君を討てば主殺しとなり、討たねば親への孝行がならず、それならば武士という身分を捨てるしかないと思ったことを話す。そうして義経のもとを離れたが、このほど誠の親の敵にめぐりあい、主君を敵と恨んでしまった謝罪のために来たと涙ながらにわびる。花の井も言葉を添え、三郎の持参した回文を義経に差し出す。回文を一目見た義経は顔色変わり、館から回文を盗み出したのは三郎であったのかと怒りだす。三郎はその疑いがかかるのを予見し、前もって武蔵坊弁慶に事の次第を話しておいてあるので、あとで聞いてもらいたいと頼む。義経はそれでも聞かずに三郎を縛り上げようとする。ここへ弁慶が大きな火鉢を手にあらわれて、三郎に身の潔白を証明するため、火鉢で熱せられた矢じりを素手で握るよううながす。剛毅の三郎は少しもひるまず、真っ赤な矢じりに手を近づける。すると義経はそれを止め三郎と再び主従の約束を交わす。ここへ梶原景高、土佐坊昌俊の二人が来たことを門番が告げにくると、義経はその回文の詮議であろうと言い、三郎に回文を持たせて奥で休息するようにと言う。また花の井も、里にいる卿の君に三郎の様子を知らせたいと、帰って行く。鎌倉からの上使として義経は二人に上座を譲り、恭しく対応するが梶原景高は威丈高に卿の君の討首に回文を添えて差し出すように申し付ける。義経は腰越にて頼朝へ差し出した誓文の甲斐無く、再びこのような疑いをかけられ、しばらく時節を待って申し開きするつもりでいたと答える。景高が席を蹴って帰ろうとすると、弁慶と三郎が回文を手にあらわれ、義経は景高に回文に記された名前を読み上げるようにと言う。景高は途中まで読んだところで言葉に詰まる。それは景高の父を含め、親子三人の名前が記されていた。義経は景高がこの事の露見を恐れて回文を盗みとろうとした事を暴露し、回文を火鉢で燃やしてしまう。三郎と弁慶は、頼朝への言い訳に使える回文を燃やしてしまった義経を訝るが、義経は天下の平安を願い、この回文を頼朝に見せるようなことは出来ないと言う。頼朝と天下を思う義経の心に感じ入り、ともに涙を流す主従であったが、梶原景高は回文を燃やしてくれた義経の情けをあざ笑う。義経はその態度に思わず刀に手をかけるが、弁慶の諌めに従い、太郎を連れて奥へ引き下がる。ひとり弁慶は景高に向かい、卿の君の父親である時忠を流罪にしたことで、もう疑いは晴れたはずと弁明するが、景高はそれでも卿の君の討首を差し出すよう命じ、弁慶は仕方なくその約束をして、景高、昌俊を帰らせる。

三段目
舞台は侍従太郎館
卿の君は帯の祝いも済み、侍従太郎の館で過ごすところへ、腰元信夫の母おわさもお祝いのために屋敷を訪ねてくる。卿の君はめずらしく姿を見せたおわさの気兼ねの無い世間話を楽しく聞き、安産の守りとなる海馬を贈られる。ここへ奥使いの女中が弁慶の到着を伝えにくる。卿の君、花の井、侍従太郎とともにおわさも弁慶を迎え、弁慶は卿の君の健やかな様子に安堵する。侍従太郎は卿の君の母が娘の安産祈願のために伊勢へ旅立っている現在、卿の君を預かる責任が重く、さまざまな心遣いをしていると話す。弁慶は、武士が戦に望む心構えをお産の心構えにかけて卿の君に聞かせる。そして頼朝の難題を侍従太郎夫婦に話したいと、卿の君が奥へ行くのを見てから侍従夫婦とともに別の部屋へ入って行く。残されたおわさと信夫は久しぶりの母娘の対面を喜び、おわさは大切に思う信夫の腰元勤めを心配し、助言を与えて気遣う。やがて母娘のもとに顔つきの変わった侍従太郎が戻ってきて、信夫に執心していたと打ち明けて是非にも今日の八つ時までに妻に貰いたいと言い出す。母娘は驚き、呆れて花の井の事はどうする気であるのか?と尋ねる。侍従太郎が花の井は離縁すると言うところを後ろで花の井が立ち聞きし、夫婦喧嘩を始める。その様子を見かねたおわさは夫婦喧嘩の中に割って入り、気が違ったような騒ぎとたしなめると、夫婦は顔を見合わせ、確かに気が違っていると言って花の井は事情を語りだす。弁慶がもたらした頼朝からの難題、卿の君の首を討って差し出せとの上意に、卿の君を殺すことも出来ず誰か身代わりをと考えて信夫ならば年格好も近いと言う。しかし侍従太郎の屋敷に勤めるものの、古くからの主従ではなく無理が頼める娘でもないので、一度侍従太郎の妻にした上で身代わりにしようとした事を打ち明ける。これを聞いた信夫は侍従太郎の窮地を思い、十年二十年の宮仕えも、たった一日の宮仕えも主従には変わりがないと、卿の君の身代わりになる意思を伝え、母おわさには四年前の大病のときに死んだものと諦めて欲しいと言う。おわさは驚き、信夫を抱きしめて、侍従夫婦に向かい、この信夫にはまだ見ぬ父親があり、その父親に会わせるまでは殺すことは出来ないと言って断る。侍従太郎はおわさの話を娘を身代わりに差し出すのが嫌さの口実であると決めつけ、母娘とも帰るようにと言い出すが、おわさはその疑いを晴らそうと、信夫の父親とのなれそめを語る。おわさは単衣の肩を押し脱ぎ、その下から紅の染模様の振り袖の片方を出して、これは十八年以前に一夜だけ契った恋人が立ち去るときに引きちぎった夫の形見であると話す。信夫が生まれてからは、この片袖を手がかりに父親を探していて、その父親に会わせるまでは死なせるわけにはいかないと語る。そして、おわさは信夫を連れて帰ろうとするが、信夫が立ちかねているところを、襖ごしに背中を刺される。おどろく一同の前に弁慶があらわれ、狂乱のおわさに弁慶も肩から衣を押し脱いで、おわさと同じ染め模様の振り袖の片方を出して見せる。そして、信夫は弁慶がまだ書写山の鬼若丸と名乗っていた頃におわさとの間にできた子供であると言う。おわさは父親との対面をさせたいと信夫に話しかけるが、信夫は死期がせまり目もみえず、耳も聞こえず、ただ母親の事を心配して弁慶の傍には寄らないでと言い残して亡くなる。おわさは悲しみ、幼いころから父親を慕っていたのに、会ったばかりに父親の手で殺される事になった信夫が不憫で泣き沈む。弁慶も生きているうちに対面したかったが、なまじ顔を見たのなら殺すこともできなくなるだろうと、ひと思いに刺し殺してしまったと苦しい胸の内を語る。そして、卿の君の討首を差し出す刻限が近づき、弁慶は侍従太郎に信夫の首を討たせる。その刃を侍従太郎はそのまま自分の腹に突き立て、驚く弁慶に邪知深い梶原の目を欺くためにこの卿の君の偽首に自分の討首も添えて差し出すように頼み、花の井とおわさに卿の君の事を託して亡くなる。こうして卿の君の身代わりとなった信夫の討首と侍従太郎の討首を持って、弁慶は堀川御所へと帰って行く。

四段目
道行伊勢みやげ
時忠の御台所が娘卿の君の安産を願って伊勢まいりの道行。

舞台は草津宿
伊勢参りの帰り道、草津宿の往来で田楽売りの男が豆腐、田楽の由来を語って商いをするところに時忠の御台所が通りかかる。女中二人とともに身なりも平民のようにはしていても御台所の一行は上品で人目をひく。そんな三人が田楽屋の男に呼び止められるところへ、「義経の北の方卿の君、乳人侍従太郎の討首持って通られる」と言う梶原景高の先触れの声が耳に入り、御台所一行は驚く。御台所は梶原の前に走り出て、卿の君の母と名乗り、娘と侍従太郎の顔を見せて欲しいと懇願する。梶原は卿の君の母親と聞いて縛り上げようとするが、田楽屋の男が天秤棒で梶原たちを蹴散らす。田楽屋の男は御台所たちに早く逃げるようすすめるが、名前だけでも教えて欲しいと言われ、義経の愛妾静の兄で、母磯の前司からは勘当を受けている藤弥太と申すものと名乗る。御台所一行を先に行かせた藤弥太は梶原と争う手を止める。この騒ぎは藤弥太を堀川御所へ入り込ませるための梶原の計略であり、このはかりごとが上手くいけば藤弥太は大名にしてやると約束されていた。

四段目
舞台は堀川御所
義経は卿の君の討首(じつは信夫の首)を鎌倉へ渡し、静を北の方に迎えている。堀川御所での酒宴に義経は静の母磯の前司を呼び出し、静も母を迎えて、晴れて妻となった喜びを語る。また、卿の君の母親を草津宿で梶原の手から助けだし、無事に送り届けた兄藤弥太もその功績で堀川御所に召し抱えられていると話す。この機会に藤弥太の勘当を許してあげて欲しいと静は母に頼み、義経も口添えをする。磯の前司は亡くなった夫が、もとは侍でありながら、藤弥太の放蕩から浪人させてしまった過去を語る。その夫が亡くなる直前に藤弥太の事を思い、勘当したままではさぞ悔しかろうと言うのを聞いて、妻はその夫の名前、磯の前司を名乗り、もし藤弥太が良心を取り戻したならば、亡くなった父親の代わりに勘当を許すことにしようと夫に約束し、夫は安心して息を引き取ったと話す。その約束があればこそ、藤弥太の性根を見極めた上でなければ勘当を許すことは出来ないので、しばらく様子を見させて欲しいと言う。これを聞いて義経は納得し、昔話で座が湿っぽくなったと磯の前司に舞を見せて欲しいと頼む。そのままの姿で少しばかり舞ってみせた磯の前司であったが、衣装をあらためてと言って義経とともに奥へ入って行く。残った静は母の来る事を知っているにもかかわらず、なかなか戻らない兄藤弥太に気をもむ。そこへ腰元信夫(卿の君)が義経からのお召しを伝えにくる。静は涙をこぼし、正妻の卿の君を腰元として扱わなければならない立場になり、勿体ないことであるけれども、お腹の子を生むまでの辛抱と思って耐えて欲しいと言う。信夫(卿の君)は自分の身代わりとして亡くなった信夫の事を思えば、尼になって信夫の菩提を弔うべきであるのに、お腹の子を生むことを諦められず、こうして義経の傍にいられるだけで幸せであると話す。そのいじらしい様子に静はなおさら卿の君に同情するが、藤弥太の咳払いが聞こえ、急いでその場を取り繕う。藤弥太は静に母の様子を聞き、勘当が許されたか?と問う。静は磯の前司が藤弥太の心底を見届けてから勘当を許すつもりであると説明するが、藤弥太はそんな母を「片意地」と言って、その片意地が治るように今朝からあちこちの神社を祈って歩いたと語る。また藤弥太は信夫に執心している事を明かして、信夫に抱きつくが、静が慌てて「もったいない」と口走ったことを咎められ、静は勘当を受けている身で腰元に手を出す行為が「もったいない」のだと藤弥太を言いくるめて、信夫と奥の座敷へ入って行く。奥の座敷からは宴席の歌が聞こえてくるが、藤弥太は先ほどからの静のそぶりで、腰元信夫は卿の君であると確信する。このことを訴えでようとも思うが、夜になってからでないと人目につくと思い直し、手紙を書き始める。静は兄の心底を確かめようと、三味線を持って酔ったふりをしながら手紙を書く兄の傍に寄る。藤弥太は驚き、急いで手紙を袂に隠すが、静はその隠した手紙を見たいと言う。藤弥太は信夫への恋文だと言うが、静は恋文ではなく出世欲からの訴状であると見抜く。静は兄藤弥太に本当のことを言うように促すと、藤弥太も信夫の正体を明かすように静へ迫る。藤弥太は信夫に抱きついたときに腹帯に触れて、卿の君であると気づいたことを打ち明け、鎌倉へ訴えるつもりであると言う。藤弥太は梶原と一味であったことを明かし、訴え出るために駆け出すところを静に止められ、藤弥太は刀を抜いて静を手にかけようとする。静は三味線で藤弥太の刀を防ぐが、とうとう引き据えられて兄の味方につかなければ殺すと脅される。そこへ奥の座敷より物音を聞きつけた磯の前司が舞いの姿のまま駆けつけ、藤弥太の肩先に斬りつける。磯の前司は倒れた藤弥太の腹を突き刺して顔を上げさせ、舞の烏帽子水干姿は男の姿であり、藤弥太を討ったのは、母ではなく亡くなった父がこの世に生き返って討ったのだと言う。そうして烏帽子装束をかなぐり捨てると、母として子を殺す悲しみを訴え悲嘆にくれる。静も涙ながら藤弥太に善心に立ち返ってから亡くなるようにと説く。藤弥太は良心を取り戻し、母に詫びるとともに今夜番場の忠太をはじめとする鎌倉武士たちが堀川御所を夜討する計画であることを打ち明け、息を引き取る。磯の前司と静が藤弥太の死を嘆く間もなく、夜討の太鼓の音が聞こえてくる。静は屋敷中を起こしまわり、酔ってなかなか起きない義経の枕元では鎧の音を聞かせ、目を覚まさせる。鎧を身につけた義経の前で鎌倉方の夜討の大将は土佐坊昌俊と名乗り、戦いがはじまる。静も長刀で応戦するうちに弁慶、伊勢三郎、駿河次郎、源八兵衛らが駆けつけ、敵を蹴散らす。大将昌俊が弁慶に追いかけられて逃げて行ったあとに、もう一人土佐坊昌俊を名乗る人物があらわれる。伊勢三郎を前に昌俊は頭巾を取り、先ほど夜討の大将として昌俊と名乗ったのは番場の忠太であると明かす。土佐坊昌俊はかつて頼朝、義経の父親である義朝に仕え、そのため二人の兄弟の事はどちらも大切に思っていることを義経に伝える。また夜討には参加しても弓には弦を張らず、矢にも矢じりをつけずに来たと言って武器を投げ出し、伊勢三郎に父の敵を取れと言って首をあらわにする。伊勢三郎が昌俊を討ちかねていると、義経は昌俊の心に感心し、生きながらえて家臣になって欲しいと願う。しかし昌俊は、それでは頼朝への忠義が立たず、武士の面目のためには、ここで伊勢三郎に討たれて死ぬことしかないと説く。そして昌俊は義経の温情に礼を言い、どうか兄弟仲良い姿を冥途の義朝と自分に見せて欲しいと頼み、伊勢三郎に討たれて死ぬ。

五段目
舞台は堀川御所
ニセの土佐坊昌俊(番場の忠太)を追いかけた弁慶は、忠太を馬に乗せて堀川御所へ連れ帰る。そして本物の土佐坊昌俊は伊勢三郎に討たれて亡くなった事を知り、番場の忠太が昌俊を名乗って殺される運命になったことから、忠太には「正尊(損)」と名付けて首をはねる。義経は喜び、静に「花扇邯鄲枕」を舞うように命じ、賑やかな宴のうちに源氏の世を言祝ぐ。